あらすじ
秋の終はり、激しい台風(野分)が六条院を吹き荒らします。源氏の君は病がちの紫の上を案じながら各御殿を見回り、息子の夕霧は父のあとに続いて庭を点検します。
ところが夕霧は、風に御簾が乱れた一瞬、その奥に座る女人の姿を目にしてしまひます。それが、父・源氏の最も深く愛する紫の上でございました。紫の上の美しさは噂に聞いてゐましたが、実際に目にした夕霧は、その比類なき気品に心を奪はれます。
さらに夕霧は、花散里の御殿を訪ね、また玉鬘の御殿でも美しい姿を垣間見します。この帖は「垣間見」の帖とも言はれ、夕霧の視点を通して六条院の女人たちの姿が次々と描かれます。父・源氏の女人たちへの愛の深さを、成長した息子がその目でたしかめる、複雑な構図の帖でございます。
台風が去った後の清らかな秋の空のやうに、夕霧の胸には忘れられぬ一瞬が刻まれます。
登場人物
夕霧(ゆうぎり)
源氏と葵の上の子。厳格に育てられた誠実な青年だが、偶然に紫の上を垣間見てしまひ、その美しさに心乱れる。父への敬愛と、禁じられた恋心の芽生えの間で揺れる。
紫の上(むらさきのうえ)
台風の日も気品を保ち、御簾越しに垣間見られる姿が神々しいほど美しいと描かれる。源氏の最愛の人の、読者が最も近く寄れる場面のひとつ。
光源氏(ひかるげんじ)
台風から女人たちを守らうと各御殿を回る。紫の上を偏愛してゐることが夕霧の目には明らかで、父の人間的な側面が描かれる。
野分の歌 ── 嵐の夜に
台風が荻の葉を揺らし、庭の草花を散らす中、夕霧は源氏に書き送ります。
しばしと止まるかたもなきかな
「荻の葉を吹き過ぎる野分でさへ、しばし留まるところもない」――嵐のやうに心が揺れ、留まる場所を見つけられない夕霧の心情を詠みます。紫の上を見てしまった動揺と、父への後ろめたさとが、この一首にひそやかに込められてをります。
物語の意義 ── 次世代の芽吹き
「野分」の帖は、源氏物語が大きな転換期を迎へる予兆のやうな帖でございます。これまで源氏の君の視点で描かれることが多かった物語が、ここで夕霧の眼を借ります。
息子が父の女人の美しさに心乱れるといふ構図は、源氏が若き日に継母・藤壺に恋したことの反復でもあります。物語は螺旋を描きながら次の世代へと受け継がれてゆきます。台風が木々の古い葉を払ひ落として新しい季節を呼ぶやうに。
『源氏物語』第二十八帖「野分」
── 紫式部 謹んで記す