あらすじ
冬の大原野への行幸(天皇の御出まし)が催されます。冷泉帝の御行列は華やかで、玉鬘もこれを見物します。その美しい姿が人目を引き、玉鬘の存在が広く知られるやうになります。
行幸を通じて、内大臣は玉鬘が自分の実の娘であることを公に認め、宮中への出仕を視野に入れ始めます。一方、源氏の君も養女・玉鬘の将来を本格的に考へねばならなくなります。複数の求婚者の中から誰を選ぶか。源氏は自らの感情と、玉鬘の幸せとの間で苦しみます。
この帖では、冷泉帝や東宮への入内を含む様々な選択肢が検討される中で、やがて髭黒の大将との縁談が浮かび上がってきます。源氏は内心では不本意ながら、その縁を黙認する方向へと傾いてゆきます。大原野の冬空のやうに、ひとつの時代がゆっくりと幕を下ろしてゆく帖でございます。
登場人物
冷泉帝(れいぜいてい)
行幸の主役。秘密の出生(源氏の実子)を知りつつも、それを公にすることなく治世を全うしようとしてゐる。玉鬘への入内の声もあがる。
玉鬘(たまかずら)
行幸の見物を通じて宮廷社会に本格的に登場する。内大臣に実の娘と認められ、その行く末が一気に動き始める。
光源氏(ひかるげんじ)
玉鬘を手放すことへの惜別と、彼女の幸福を願ふ養父の心情の間で揺れる。この帖の源氏は、珍しく受け身の姿を見せる。
髭黒の大将(ひげくろのたいしょう)
重厚な人柄で知られる武人。玉鬘への一途な思ひが静かに燃え続けてゐる。表立っては現れないが、やがて運命の人物として前景に出てくる。
行幸の歌 ── 短き逢瀬
玉鬘が内大臣のもとへ移ることを察した源氏の君は、最後の別れを惜しむやうに歌を詠みます。
逢はでこの世を過ぐしてよとや
「難波潟の蘆の節のやうに短い逢瀬も持たぬままに、この世を過ごせといふのか」――「蘆の節の間」は「わずかな時間」の意。逢ふことなく別れの時を迎へる切なさを詠みます。養父と養女の関係を、源氏はどこかで「逢はなかった恋」として抱へ続けてゐたのかもしれません。
物語の意義 ── 転換の予感
「行幸」は玉鬘の物語が大きく動き出す帖でございます。源氏の六条院の中で守られてゐた玉鬘が、いよいよ宮廷社会の本流へと押し出されてゆく。その転換が、大原野の冬の行列とともに静かに描かれます。
天皇の行幸は国の方向を示す儀式でございます。玉鬘の「行幸」もまた、彼女の人生の方向を定める節目でございました。
『源氏物語』第二十九帖「行幸」
── 紫式部 謹んで記す