源氏物語

末摘花(すえつむはな)

土佐光信「末摘花」源氏物語絵アルバム第6帖、ハーバード美術館所蔵(1509-1510年)
なつかしき色ともなしに何にこの
すゑつむ花を袖にふれけむ

あらすじ

亡き夕顔の面影を追ひながら、光源氏はある姫君の噂を耳にします。常陸宮の娘で、琴の名手だといふ。源氏は好奇心から彼女に近づきますが、姫との対面はなかなかかなはず、文を交はすうちにいつしか思ひを寄せるやうになります。

ようやく逢瀬が実現した翌朝、源氏は初めて姫の容貌を目にします――その容姿は、彼の想像とはおよそかけ離れたものでした。身の丈は高く、顔は長く、特に鼻が赤く垂れ下がって末摘花(紅花)のやうであると描かれます。源氏は苦笑を隠しながらも、姫を見捨てることができません。

姫の純粋さと、没落した家を一人で守る健気さが、源氏の心に触れてゐたのです。笑ひを誘ひながらも、実は深く胸に迫るこの帖は、紫式部のユーモアと人間への優しいまなざしが光る傑作です。

「末摘花」── 紅花の赤き鼻

末摘花とは、紅花(べにばな)の古名です。紅花の花びらの先が赤くなることから、姫の赤い鼻先に喩へられました。この帖では源氏物語には珍しいユーモラスな筆致が全編を彩りますが、それはただ滑稽なだけではありません。

なつかしき 色ともなしに 何にこの
すゑつむ花を 袖にふれけむ

源氏が心中で詠んだとされる歌。「特に愛らしい色でもないのに、なぜこの末摘花(あなた)の袖に触れてしまったのだろう」――苦笑いしながらも、縁を断ち切れない源氏の複雑な心境が滲んでをります。

登場人物

末摘花(すえつむはな)

常陸宮の姫君。赤鼻で不器量とされながらも、古風で誠実な性格の持ち主。財産が尽きても誇りを失はず、流行遅れの衣装をまとったまま源氏を待ち続ける。その不変の姿が、かへって源氏の心を動かす。

常陸宮(ひたちのみや)

末摘花の父。すでに故人で、娘は没落した宮家を守りながら暮らしてゐる。

容貌を超えた「誠実さ」

末摘花の帖は、外見への執着に対する問ひかけです。美しい女性ばかりを愛する源氏が、不器量な姫を前にしてもなほ関係を続けるのは、姫の内なる誠実さ、変はらぬ純粋さに打たれたからに他なりません。

わたくしは、容貌の美醜ではなく、心の美しさこそが人を結びつけると信じてをります。末摘花は、その体現者です。笑ひながらも涙ぐむ、そんな帖を書くことができたと思ってをります。


『源氏物語』第六帖「末摘花」
── 紫式部 謹んで記す