寛弘五年、長月十一日の夜のことにさぶらふ。
中宮彰子さまが御産気づかせたまひてより、土御門の邸の内はにはかに騒がしくなりぬ。殿上人も女房も、皆息をつめてをりぬ。読経の声が絶えず、香の煙が御帳の内より漂ひ出でて、わたくしの心はただ静かに、しかし深く揺れてをりぬ。
夜の明けゆく寸前、御産声が聞こえたり。その声のいかにも力強きこと。女房たちがどよめき、泣き声と笑ひ声とが入り混じりて、邸の中があたたかく満たされぬ。親王さまのお誕生でございます、と声が廊を伝はってゆきぬ。
左大臣・道長さまのお喜びのほど、まことに見るも尊きことにて、御衣の袖を顔に当てながら、それでも声をあげて泣いてをられぬ。かくも権勢を誇る大臣が、孫の誕生にかかるほど涙もろくあられるとは、と思ひて、わたくしはそっと視線をそらしぬ。
中宮さまはいたく御疲れのご様子にて、しばらくお目をつぶっていらせたまひぬ。その御顔のやつれの中にも、かすかに微笑みらしきものが見えたるやうにて、わたくしはその御顔をしかとこころに刻みぬ。人の命がここへ宿りしこと、まことに夢の心地ぞとはこのことにさぶらふ。
暁の光が御格子の隙間より差し入り、産屋の人々の顔をひとりひとり照らし出したり。泣き疲れた者、祈り疲れた者、喜びに颯爽とした者――皆それぞれの夜を越えたり。わたくしはその光の中に、新しき命の重さと、この世の不思議とを、ともに感じてをりぬ。