源氏物語

藤裏葉(ふじのうらば)

土佐光信「藤裏葉」源氏物語絵アルバム第33帖、ハーバード美術館所蔵(1509-1510年)
見てもまた逢ふ夜まれなる夢の内に
やがて消えにし影を惜しまん

あらすじ

藤の花が六条院の池のほとりで満開に咲き誇る春、冷泉帝が六条院に行幸なさいます。これは源氏にとって最大の栄誉でございます。宴は盛大に催され、源氏は准太上天皇(太上天皇に準ずる位)を授けられます。朝廷の中で最高の栄華を手にした瞬間でございます。

また、この帖では夕霧と雲居雁がついに結ばれます。幼い頃に引き離されてから長らく別々に過ごし、互ひの心だけを頼りに待ち続けた恋が、ここで実を結ぶのでございます。誠実な夕霧の愛が報はれる、この物語の中でも数少ない「報はれる恋」でございます。

源氏の政治的勝利と、息子の恋の成就と。藤の裏葉(葉の裏)が爽やかな風に揺れるやうに、表から見えないところで積み重なってきたものが、この帖で美しく花開きます。源氏物語第一部が、ここに静かな高揚とともに幕を閉じます。

登場人物

光源氏(ひかるげんじ)

准太上天皇の位を授けられ、臣下としての最高峰に立つ。宮廷での栄光と、六条院での豊かな愛情と。源氏の人生はこの帖でひとつの完成を迎へる。

冷泉帝(れいぜいてい)

父・源氏の実の子として、できる限りの礼遇を尽くす。行幸は政治的な儀式でありながら、父子の無言の絆が行間に流れる。

夕霧(ゆうぎり)

長い恋の成就。誠実で粘り強い青年の愛が、ついに雲居雁との結婚として実を結ぶ。源氏の物語の次世代への橋渡しとなる人物。

雲居雁(くもゐのかり)

夕霧の幼なじみ。引き離された後も一途に待ち続けた恋。素直で気の強い性格がこの物語の中に新鮮な風を吹き込む。

藤裏葉の歌 ── 夢のやうな栄光

六条院の藤の花が風に揺れる宴の夜、源氏の君は感慨を歌に詠みます。

見てもまた逢ふ夜まれなる夢の内に
やがて消えにし影を惜しまん

「見てもまた逢ふことが稀な夢のうちに、すぐに消えてしまった面影を惜しもう」――今この瞬間の輝かしさが、夢のやうに儚いものだと源氏は感じてをります。栄光の頂点に立ちながら、その儚さをも見つめる源氏の眼差しが、この一首に宿ってをります。

物語の意義 ── 第一部の幕

「藤裏葉」をもって源氏物語第一部が終はります。桐壺帝の子として生まれた光源氏が、流謫の苦しみを経て、最高の栄華に至るまでの物語でございます。

しかし紫式部はここで終はらせません。第二部では、栄華の中に忍び込む翳りと、老いと喪失とが描かれます。藤の花は今、満開でございます。しかし花の命は短い――。


『源氏物語』第三十三帖「藤裏葉」
── 紫式部 謹んで記す