あらすじ
春の六条院は、まるで別世界のやうな賑はひを見せます。紫の上の御殿(春の御殿)は桜と山吹が咲き乱れ、池の水面に花びらが散ります。その美しさに、訪れる人はみな言葉を失ふほどでした。
ある春の日、紫の上の御殿では舟遊びが催されます。蝶に扮した童女たちが二艘の舟に乗り込み、春の池を滑るやうに渡ります。その舟が秋好む中宮の御殿(秋の御殿)に近づき、春の花を贈ります。秋の御殿は紅葉と菊を愛でる場所、春の装ひとはまるで対照的でございます。
秋好む中宮は春の花への返礼として、歌を送ります。「春の蝶が舞ふ季節も、秋を待つ虫には遠いものに映る」と。源氏の君も紫の上も、この風雅な応酬を楽しみます。二つの御殿の趣の違ひが、それぞれの女性の個性と重なり合ひ、六条院全体が巨大な美の競ひ合ひの場となってをります。
一方で、玉鬘への求婚者が続々と名乗りを上げ始めます。蛍の宮、柏木(内大臣の嫡男)、鬚黒の大将――それぞれが思ひ思ひの恋文を送ります。特に柏木(かしわぎ)は誠実な恋文で玉鬘の心を揺らします。玉鬘は美しい春の中で、思はぬ悩みを抱へることになります。
登場人物
紫の上(むらさきのうえ)
春の御殿の女主人として蝶の舞遊びを催す。六条院の中で最も光り輝く存在として描かれ、その美しさと品格が春の盛りと重なり合ふ。源氏の愛の中心にある女性の、もっとも幸せな姿がここにある。
秋好む中宮(あきこのむちゅうぐう)
春の花を受け取り、秋の心で応へる。「春の蝶も秋を待つ虫には遠い」という歌は、自分は春ではなく秋を愛する、という宣言。その風雅な対比が帖の名場面のひとつ。
玉鬘(たまかずら)
六条院の春の宴の中で、次々と求婚者の視線を集める。しかし彼女の養父は源氏の君。「誰に嫁がせるのか」「そもそも本当に養父なのか」という問ひが、玉鬘の春に影を落とし始める。
柏木(かしわぎ)
内大臣の嫡男。後の帖で重要な役割を果たすこの人物が、ここでは若い恋する男として登場する。誠実な恋文に玉鬘も悪い気はしないやうだが……。
光源氏(ひかるげんじ)
六条院の全てを演出する主。蝶の舟遊びにも、求婚者への対応にも、すべて自らの采配を振るふ。しかし養女・玉鬘への複雑な感情も、この帖では少しずつ顕はになりつつある。
春の競ひ ── 秋好む中宮の歌
蝶に扮した童女の舟が秋の御殿に近づき、春の桜の枝を差し出します。秋好む中宮はその花を受け取り、返歌を詠みました。
秋待つ虫はうとく見るらむ
「春の野で蝶が舞ふこの季節でさへ、下草の中で秋を待つ虫には、遠いものとして映るのでせうか」――中宮の歌でございます。「わたくしは秋の人。春の蝶が来ても、やはり秋が来るまで待ちます」という、穏やかな主張でもあります。争ひではなく、風雅な自己主張。源氏物語の恋や競ひ合ひは、常にこのやうな詩の衣をまとってをります。
物語の意義 ── 爛熟の季節
「胡蝶」の帖は、六条院の栄華の爛熟を描きます。すべてが美しく、すべてが整ひ、すべてが輝いてをります。しかしそのただ中で、玉鬘をめぐる恋の季節が密かに動き始めてをります。
蝶は美しいが、やがて散ります。春は盛りを過ぎれば夏になります。六条院の輝きの絶頂において、わたくしはすでに次の季節の訪れを予感してをりました。すべての華やかな物語の裏に、やがて来る秋の気配がひそんでをります。
『源氏物語』第二十四帖「胡蝶」
── 紫式部 謹んで記す