和泉式部といふ方のことを、わたくしはいつも複雑な心持ちで思ひぬ。
その御方の歌の才は、疑ひやうもなく天性のものにてさぶらふ。詠む端から言葉が情念と結びつき、読む者の胸へまっすぐに飛び込んでくるやうなお歌にてさぶらふ。かかる言葉の力を生まれながらに持つとは、どのやうなことかと、わたくしはつくづく考へぬ。
されど、その御方の御身の振る舞ひのことは、口にするのも憚られることが多く、御所の女房たちのうちにはよく思はぬ方もあることにてさぶらふ。恋多き御方として世に聞こえておはしまするが、その恋ひとつひとつが歌になるとは、人の業のなせる業かとも思ひぬ。
わたくしはといへば、和泉式部さまの歌を読むとき、その生き方に賛同はしかねながらも、その詞の強さに抗へぬ自分ををかしとも思ひぬ。歌の良し悪しと、詠み人の生き方とは、別のこととして受け取るべきなのかどうか、今もよく分からぬままにてさぶらふ。
人の才とはかかるもの、と思ひながら、わたくしは自分の歌を見直してみぬ。才の形は人それぞれにて、わたくしのそれはまた別の場所にあるやうな気もし、さりとて確信もなく、春の宵の霞のやうにぼんやりとしてをりぬ。