あらすじ
宇治の地に現れた新しい女性・浮舟(うきふね)は、薫(かをる)が深く愛してゐた大君(おほいきみ)によく似た容貌を持つ異母妹でした。薫は浮舟を宇治の山荘に隠して大切にしますが、そこへ匂宮(にほうのみや)が強引に介入してきます。
匂宮は嵐の夜、薫に変装して浮舟を訪ね、彼女を対岸に連れ去り、一夜をともにします。浮舟は二人の男のあひだで引き裂かれ、どちらも愛せず、どちらも捨てられず、心は崩れ落ちてゆきます。
「どちらかを選ぶなら、死を選ぶ」――浮舟は宇治川に身を投げることを決意します。この「入水」の決断は、宇治十帖で最も衝撃的な場面のひとつです。
浮舟── 水面に漂ふ小舟のやうに
浮舟とは、水面をただよふ小舟のこと。どこへも定まらず、風と流れに任せて漂ふやうな存在。この名前は、彼女の宿命そのものを表してをります。
消えなむとこそ 思ひなりぬれ
浮舟が心中で詠むとされる歌。「身を投げようといふ強い意志ではなく、ただ消えてしまひたい――」。その哀しい切なさが、静かな言葉の中に滲んでをります。
登場人物
浮舟(うきふね)
八の宮の隠し子。薫と匂宮の板挟みにあひ、入水を試みる。宇治十帖の主人公のひとりで、源氏物語の女性のなかで最も「近代的」な苦悩を生きる存在ともいはれる。
薫(かをる)
源氏物語後半の主人公。女三の宮と柏木の子で、生まれながらに芳香を発するといふ不思議な特質を持つ。思索的で誠実だが、行動力に欠ける面がある。
匂宮(にほうのみや)
今上帝の第三皇子で、薫の親友にして好敵手。情熱的で行動力があり、浮舟を強引に奪ひ取る。その軽率さが浮舟の悲劇を加速させる。
現代に通じる浮舟の苦悩
わたくしは、浮舟に、どの時代にも通じる女性の苦しみを書き込みました。他者の欲望と期待の間で板挟みにされ、自分自身の意志を持てないまま、ただ消えてしまひたいと思ふ心――それは千年後の読者にも、深く刺さるものがあると思ひます。
浮舟の物語はここでは終はりません。次の帖「蜻蛉」では、生きてゐた彼女が発見されます。
『源氏物語』第五十一帖「浮舟」
── 紫式部 謹んで記す