あらすじ
浮舟が物語の前面に姿を現します。八宮の娘でありながら、母が身分の低い出で、正妻の子ではなかったために、浮舟は宮家の娘として認められずに育ちました。常陸介の養女として地方に暮らしてゐましたが、その美しさは際立っており、縁談も複数あります。
薫は中の君を通じて浮舟の存在を知り、宇治に引き取ることを計画します。浮舟は大君の異父妹として、大君によく似た面影を持つといひます。薫はその面影への渇望から、浮舟を宇治の山荘に住まはせることにしました。
一方、宇治を訪れた匂宮は偶然に浮舟と出会ひ、その美しさに強く惹かれます。薫の大切にしてゐる女性と知りながら、匂宮の多情な衝動は止まりません。浮舟をめぐる薫と匂宮の競ひ合ひは、浮舟自身の意志とは無関係に動き始めます。
「東屋」は粗末な家のこと。八宮の娘でありながら、東屋のやうな身分に甘んじてきた浮舟の境遇が、帖名に込められてをります。しかし粗末な屋根の下でも、雨は避けられず、人の心も守れません。
登場人物
浮舟(うきふね)
宇治十帖最後のヒロイン。水に浮かぶ舟のやうに、どこへも根を張れないまま流れてゆく運命を持つ。美しく繊細で、しかし自らの意志を持ちにくい状況に置かれてゐる。
薫(かをる)
大君の面影を浮舟に求める。その愛は本物だが、亡き人への代替という影を帯びてをり、浮舟を一個の人間として見切れてゐない面もある。
匂宮(においのみや)
浮舟の美しさに衝動的に引き寄せられる。薫の女性と知りながらも止まれないその多情さが、悲劇の引き金となる。
東屋の歌 ── 雨に濡れて
浮舟の母が娘の不遇を嘆いて詠む歌でございます。
我をぬらすとは人に告げこそ
「東屋の軒から落ちる雨が私をずぶ濡れにする、このことを(誰かに)告げてください」――「東屋の軒のあまり」は「余り」の掛詞で、粗末な宿の「東屋」は浮舟の低い身分を象徴します。保護してくれる誰かに告げたい、助けを求める声が、雨の音に混じって聞こえてまいります。
物語の意義 ── 悲劇の前夜
「東屋」は浮舟の悲劇の幕開けでございます。薫と匂宮、ふたりの貴公子の間で揺れながら、浮舟はやがて宇治川の岸辺に立つことになります。
水に浮かぶ一艘の舟が、二方向から引っ張られれば転覆します。浮舟の名は最初からその運命を示してゐたのかもしれません。
『源氏物語』第五十帖「東屋」
── 紫式部 謹んで記す