あらすじ
都に帰還した源氏の君は、石山寺(いしやまでら)への参詣の旅に出ます。逢坂山(あふさかやま)の関を越えようとするとき、折よく(あるいは折悪しく)、空蝉の一行と鉢合はせになります。空蝉こと伊予介の妻は、今は夫の任国の東国から都へと帰京する途中でした。
かつて源氏の君との夜の逢瀬を薄衣一枚を残して逃げ去った空蝉。その後も文を交はしながら、しかし決して再び会はうとはしなかった女人が、逢坂の関でこれほど鮮やかにすれ違ふことになるとは――。
ふたりは互ひの存在を意識しながら、関を前後して通り過ぎるばかり。言葉を交はす間もなく、ふたりの道はまた分かれます。しかしこの短いすれ違ひの中に、源氏の君と空蝉が幾年かを経てなほ互ひを思ひ続けてゐることが、和歌のやりとりを通じてにじみ出ます。
この帖は五十四帖の中でもとりわけ短く、ほとんど出来事らしい出来事もありません。しかしそのすれ違ひの一瞬に込められた余情は、長い帖に勝るとも劣らない深さを持ってをります。
登場人物
空蝉(うつせみ)
かつて源氏との夜を薄衣ひとつ残して逃れた女人。今は河内守の妻として東国から帰京の途につく。年を経ても源氏への想ひは消えず、しかしそれゆゑにこそ近づかぬことを選ぶ。その潔さが彼女の美質。
光源氏(ひかるげんじ)
石山詣での途次、思ひがけず空蝉と出くはす。かつての逃げた夜の記憶が鮮やかに蘇る。今は内大臣として栄華の頂にある身でありながら、空蝉の前では昔の若さに戻るやうな感覚を覚えてゐる。
河内守(かはちのかみ)
空蝉の現在の夫(伊予介の息子)。伊予介は亡くなり、その妻が息子に再嫁した形。空蝉の内心の揺れなど知る由もなく、ただ都帰りの旅を共にしてゐる。
逢坂の関 ── すれ違ひの歌
「逢坂」とは「逢ふ坂」、逢ひやすい地名でありながら、ふたりはここでまた別れてゆきます。言葉遊びのやうな地名の皮肉が、この帖のすれ違ひをいっそう際立たせます。
鎖しと思へど 逢はぬ身にぞある
「逢坂の関は人が越えやすい関と聞くけれど、こちらは心に鍵をかけてゐるのに、それでもあなたに逢へない我が身であることよ」――空蝉の返歌の趣旨でございます。逢ひたいのに逢はないのか、逢はうとしないのか――その境界が曖昧なままに漂ふのが、空蝉といふ女人の魅力にございます。
薄衣の記憶 ── 逃げた夜のこと
帚木の帖から続く空蝉との縁は、源氏物語の中でも特異な輝きを放ちます。美貌でも身分でも紫の上や明石の御方に及ばない空蝉が、なぜ源氏の心に長く残り続けるのか。
それは「逃げた」からにほかなりません。手に入らなかったものへの執着は、容易に手に入ったものへの感謝よりも長く続きます。源氏の君が幾年を経ても空蝉を忘れられないのは、彼女が唯一「逃げきった女人」だからでございます。
物語の意義 ── 余情の帖
「関屋」はあまりにも短く、事件らしい事件もなく、ともすれば読み飛ばされかねない帖でございます。しかしわたくしはあへてこの短さに意味を持たせました。
すれ違ひだけで終はる物語がある。逢はないことで成立する縁がある。関屋の帖は、語らないことで語る物語の作り方の、ひとつの極みでございます。逢坂の関の向こうに消えてゆく車の後ろ姿に、源氏は何を思ったか――そこはあへて書かずに置きました。読む方の心に委ねるために。
『源氏物語』第十六帖「関屋」
── 紫式部 謹んで記す