あらすじ
とうとう、玉鬘の婿が決まります。しかしその決まり方は、誰も予想しなかった強引なものでした。髭黒の大将が玉鬘のもとへ忍び込み、既成事実を作ってしまふのです。源氏の君は怒り、内大臣も困惑しますが、もはや覆しやうがありません。
髭黒には正妻(式部卿宮の娘)がをりました。彼女は物の怪に取り憑かれたやうな状態にあり、嫉妬のあまりついに発狂します。灰を夫にぶつけ、子どもたちを連れて実家へ去ってゆきます。その姿は哀れそのもので、読む者の胸を締め付けます。
正妻の残した幼い娘・真木柱は、父の髭黒に連れ添ふことができません。母とともに去らねばならない悲しみの中で、少女は邸の柱に小さな歌を刻みつけます。「真木柱よ、いつか帰ってくる私の心の拠り所となって」と。この場面が帖名の由来であり、源氏物語の中でも最も哀切な場面のひとつでございます。
一方、玉鬘は髭黒のもとで妻として認められ、やがて子を産みます。波乱の末に幸福を得た玉鬘と、幸せを奪はれた正妻と――ふたつの人生が同じ冬の空の下に描かれます。
登場人物
髭黒の大将(ひげくろのたいしょう)
重厚な人柄の武人だが、玉鬘への執着は常識の外に出てしまふ。強引な行動で批判を受けるが、玉鬘への愛情は本物であった。
玉鬘(たまかずら)
望まぬかたちで妻となったが、やがて髭黒の真剣な愛情を受け入れ、安定した幸福を得る。波乱の多い生涯に、ひとつの着地点を見つける。
髭黒の正妻(ひげくろのせいさい)
物の怪に憑かれ、嫉妬のあまり狂乱する。夫に灰をぶつけ、子どもたちを連れて実家へ去る。捨てられた女人の哀れが、この帖の最も深い悲しみとなってゐる。
真木柱(まきばしら)
髭黒の娘。父についてゆけず母とともに実家へ去る際、邸の柱に歌を刻む。その純真な悲しみが帖の名となり、物語に永遠に刻まれた。
真木柱の歌 ── 柱に刻んだ願ひ
実家へ去らねばならない真木柱は、幼いながらも心細い気持ちを歌にして柱に刻みました。
のちの世までの形見ともみよ
「真木の柱よ、私の心はどこへゆくのだらう。後の世まで(いつか帰ってきた時の)形見として見てください」――幼い少女が親の離別に傷つき、建物の柱にそっと心を刻みつける。何年後かに帰ってくるかもしれない日のために。いつか父のもとへ戻れるかもしれないと信じながら。
大人たちの恋愛の争ひに翻弄された子どもの一首でございます。源氏物語の中で、最も胸が痛むひとつでございます。
物語の意義 ── 幸と不幸の表裏
「真木柱」は、誰かの幸福が誰かの不幸の上に成り立つことを教へてくれる帖でございます。玉鬘の新たな出発と、正妻の絶望と、真木柱の悲しみ。ひとつの出来事がこれだけ異なる痛みを生む。
真木の柱は磨き込まれた立派な柱でございます。嵐が来ても倒れない。しかし幼い少女の刻んだ歌は、何十年経っても消えることなくそこにあり続けます。物語とはそのやうなものかもしれません。
『源氏物語』第三十一帖「真木柱」
── 紫式部 謹んで記す