夜もすがら、物思ひにしづみてをりぬ。
宮仕へに上がりて幾年が経ちぬ。亡き夫・宣孝のことを思へば、今もなほ胸の底にじんとする思ひがさぶらふ。娘の賢子のことを思へば、遠くに預けたるが申し訳なくて、また胸が痛むにさぶらふ。中宮さまのお傍に侍ることはかたじけなき誉れなれど、わたくしの心はいつもどこか宙に浮いてをるやうにさぶらふ。
ほかの女房たちは賑やかに語らひ、好き物の君たちと文を交はし、この宮仕への暮らしを楽しんでをるやうに見ゆる。わたくしにはどうもさやうにはなりかねて、人の輪の外に立ちて眺めることが多くなりぬ。「式部は愛想がなし」などと言はるることも耳に入りてをりぬ。
されど、この孤独は書くことへの扉にもさぶらふ。賑やかな中にをれば、心の奥の声は消えてしまふ。ひとり夜の静けさの中にをれば、人の心の深みが少しだけ見へてくる。源氏の君の悲しみも、紫の上の哀れも、わたくし自身の寂しさと無縁ではないと思ふ。
月が御格子の隙間より差し入りて、硯の前のわたくしの手を白く照らし出しぬ。この手で何を書けるか、何を書くべきか、まだわからぬことは多し。されど、書くことをやめるつもりはさぶらはぬ。物思ひに沈む夜こそ、もっとも深いところへ降りてゆける夜にさぶらふ。
夜が白みはじめる頃、また筆を取りぬ。源氏の君はまだ多くの人と出会はねばならず、わたくしはまだ多くのことを書かねばならず。それだけはたしかにさぶらふ。